2006年10月02日

記念日

今日は1200日記念。


100日記念も

1000日記念も

1100日記念も、、、



気づいたら終わってた・・・



だから!
今回は絶対に忘れぬよう、ケイタイのアラームセットしておいた。



と、言っても、
特別に何か記念日のお祝いするわけでもなし。

あー、そんなにも年くったんだなぁ〜、って
空しくなるだけさね。
記念日なんて書いたけど、
記念日なんて、私にとっては、
あって無いようなもの。




私にとって「愛」とは、
何度も同じこと言うようだけど、
どれだけ長く愛したか、じゃなくて

どれだけ深く愛したか、なんだよね。




月日が流れれば、記念日は必ず訪れるものだが、
ダラダラと日々を過ごすだけの毎日で、
出会ってから何日目!などと言う、日々の節目なんてものは、
私にとっては無意味。

記念日は誕生日だけでいい。
クリスマスなんて、無宗教の似非クリスチャンには必要ない。
年越しイベントなんて、そんなのしなくても無慈悲に新年は訪れる。
バレンタインデーなんて、
「私たちは毎日がバレンタインデーよ黒ハート」なんてほざいてるバカップルを横目で見過ごしていれば良し。


あー、悔し紛れの戯言か!!!!


ちゃうっつーの。
この年になると記念日なんてものはウザイだけ。
確かに大切な人との記念日は重要なことかもしれん。
でも、
性格歪んでる私は、
記念日を指折り数えることが、
「記念日をあとどれだけ祝えるんだろうか」を、指折り数えているみたいに思えて、まるでそれはいつの日か訪れる最終期限までの道のりを辿っているみたいな感に捉われる。


そう考えると、
毎日が記念日よ!黒ハート と、ほざいてるバカップルみたいな思想が、
実は一番利口な考え方なのかもしれんなあ。


祝わなくていいからね。
1200日だろーが、10000日だろーが、全く関係なし!
私は何も期待してない。全くいつもと変わらず過ごすんだからね。
記念日なんて必要ない。私はね。

ちなみに、
誕生日も祝って欲しくない。この年になるとね。
祝ってもらったこともないけどね。
posted by みよん at 00:00| ソウル ☁| Comment(0) | ニッキ >愛について語る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

人を愛すること

愛って報われないもの。

私の愛はいつでも報われない。
私の愛はいつか報われるのか。
この愛が報われるにはどうしたらいいの?

恋愛をしている者は常に悩み、試行錯誤して愛に報いようとする。
でも、愛って、
所詮、報われないものなんだ。
報われることなんてないんだから。

報われないものを報われようとするから苦しいんだ。
苦しみから解放されたいから、人を愛し、
でも、愛されたいと願うから苦しいんだ。

愛って報いられるものではなく、報いるもの。
受けるものではなくて、本来、与えるもの。
愛されたいと願ってばかりいる人は、結局誰からも愛されない。

誰かに愛されたい、あの人に愛されたいと願う気持ちは、
それは「愛」ではなくて、「欲求」

人は「愛している」と、簡単に言うけれど、
どうして「愛している」と言うの?
好きだから言うの?
本当に愛しているなら、その真の気持ちを、
単なる言葉じゃなくて行動で態度で示すことができるのか。

愛が報われるとするならば、
その報われる日とはいつなのか?
結婚すれば「報われた」と言えるんだろうか?
結婚は、愛の終結じゃない。結婚は愛の始まりであり、そこが終着点じゃない。
結婚してから、愛をどのように育むのかが焦点で、
利己的な愛はいつか冷めるし、終わってしまうはず。
二人の真の愛がどのように営まれていくかが重要で、
結婚が、愛を全うしたという答えにはならない。

子供ができたら愛が報われたと言えるのか。
子供ができれば、新たな「愛」が誕生するが、それも愛の終結ではない。

子供が成長したら愛が報われたと言えるのか。
夫が出世したら愛が報われたことになるのか。
妻が何も不自由なく平凡に過ごせることが、愛の報いなのか。

いつになったら、愛は報われたと言えるのか。


愛し合う二人は、いつの日か、
愛が報われた!と心から感じられる時が来るのか。


人はいつも愛に悩み、苦しむ。
それは、人が愛について錯覚をしているからだ。
愛は報われるものではなくて、全うするもの。貫くもの。
自分が愛されたいという願いは「愛」ではない。
愛する人に、真の愛を捧げてそれを貫く。
一人の人を心から愛し、それを貫くことが大切だから。

男女間の恋愛だけが「愛」ではない。
子供を思う親の愛情、友達を大切に考える心、
動物を守り続ける愛情、世界の苦しむ人たちを助けようとする愛情、
家族を大切に見守る愛情、
そして生きた人ばかりではなく、死んでしまった人への愛情もある。
それらの愛は決して見返りを期待していない。
自分が愛を捧げるのは、その人が幸福になって欲しいと思うから。
そのような美しい愛情を、人間は誰でも持っていて、誰でも感じている。
人間は本当は真実の愛を知っているんだ。


言葉で愛を語るのは本当に難しい。
愛って、人間の頭脳では計り知れない大きなエネルギーだと思う。
だから、人間の作り上げた言語や文字では、
愛を解釈することは出来ない。愛を解読することなんて出来ない。
なのに、人は人を愛することができる。
人は無意識の中で愛の概念を誕生させて、それを全うしようとする。
潜在意識の中で、人は深い愛情を感じている。
人は表面的なものに惑わされている。
人は、人間の作り上げた曲がった社会、理念、ルール、欲望によって真実の愛を失いかけている。

愛が報われるとするならば、
それは人が最期を迎えるときなのかもしれない。
自分が愛する人を心から愛し、それを全うし、貫き、
最期に死を迎える日に、
自分の深い愛に誇りを感じることが出来て、自分の貫き通した愛に報いを感じられるのかもしれない。

愛されたいと思う気持ちと、
愛したい、と思う気持ちは、
とてもよく似ているけれど、まったく違うもの。

愛されたい、愛されたい、と、願っているのなら、
一人でもいいから誰かをとことん愛し、
報われることを願おうとしないで、
その愛を死ぬまで貫くことが大切なんだと思う。

愛は、苦しいもの。
でも、愛の本当の意味を知ることが出来たら、
どんなに報われない愛だとしても、それは苦しいものではない。
愛は苦しいものではないんだから。
愛は喜びなんだから。

苦しいと感じているならば、それは愛を履き違えている。
苦しいと感じているならば、それは本当の愛じゃない。
愛が喜びに感じられたときが、真実の愛を見つけられたとき。

そばに居なくても、結婚できなくても、貧しくても、病気でも、たとえ相手が死んだとしても、自分が死んだとしても、
真実の愛は絶対に消えない。永遠に消えない。
真実の愛ならば、どんな問題が起きても絶対に消えない。

愛と欲求を間違えないで。
似ているけど、違うんだから。
愛に苦しまないで。
愛は、喜びなんだから。
愛は、人間にとって一番大きなパワー。
原動力、エネルギーなんだから。
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posted by みよん at 00:24| ソウル ☁| Comment(4) | ニッキ >愛について語る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月17日

愛されるよりも、愛したいマジで(タイトル抜粋)

韓国の男性って、仕事や私生活での悩みや苦悩を他人に相談したりしないの?それは相手に心配かけたくないから?一人で思い悩むの?
それとも・・・友達には話したりするの?家族や兄弟は?
韓国では家族はとても強い絆で結ばれていて、お互いをとても大切に思っていて、
いつでも心配かけないように気配りして、年上には礼儀を重んじて、
それは分かってる。それは私は韓国のドラマを見たり、ニュースで見たり、本を読んだり、ネットで調べたり、
KYUの態度を見ていたから・・・
私は分かってる。
だけど、韓国のこと、いくら調べても、いくら情報を頭に叩き込んでも、
韓国人の心まではどうしても理解できない。掴めないの。
知ることが出来ないの。

韓国人は、情に厚いと言うけど、
その相手に対する熱い思いが、私は彼らの尊敬できるところで、
私は彼らの積極的な姿勢や行動がとても好きで、
だから私は韓国人が大好きで・・・

でも、彼らだって人間だし、人生に悩むこともあると思うし、
彼らは苦しい時、悲しい時、どうしてるの?
誰かに心の内を明かすの?誰かに救いを求めるの?

大切な人に心配かけさせたくないから、自分の悩みを大切な人には相談したくない、その気持ちは分かるよ。私も同じだから。
自分の悩みは結局自分自身で解決しなくてはならないことだから。
余計な心配をかけさせて相手を悩ませたくない。だから、
自分の苦しみは絶対に話さなかった。
自分ひとりで苦しむのは辛いけど、自分の悩みを相手に話すことはもっと辛い。
それは私の寂しい心に惨めな思いがあるから。
所詮、他人は私を救うことはできない。
所詮、他人は自分が一番大切で、自分の生きる道に必死なんだから。
私が私の悩みを彼らに打ち明けたところで、彼らの重荷になるだけで、
彼らの苦悩がもっと増えることになるんだから。

でも・・・私はそのような考えで生きてきたけど、
愛する人が苦しんでいたとして、それを知らずに居た自分に気づいた時、
私は多分、とてつもなく深い悲しみと打撃を受けるんだと思う。
私は、愛する人の安らぎとなりたいと思っている。
愛する人が私を必要としてくれるような人間になりたいと、
いつもそのように願っていたのに・・・・・

私は、愛を受けるよりも、愛を与えたいの。
愛されることは喜びだし、幸せだし、とても素晴しいことだと思うけど、でも、
愛して愛して、とことん愛して、自分自身が崩壊するくらい愛せる人がいたとしたら、
それほど素晴しいことはないと思う。
たとえそれが自分に返ってこない愛であっても、
どれだけ愛されたか、よりも、
どれだけ自分の身を捧げたか、
自分の人生、どれだけ充実していたか、どれだけ愛に満ちたものだったのか、
それを考えるなら、愛されるよりも、誰かを死ぬほど愛した方が、
最後には自分が満足できる人生だったと言えるんじゃないかと・・・思った。

私は必要とされたい。必要とされたい。必要とされたい。
あの人が私を必要だと感じて欲しい。
いつでも、私を必要だと思っていて欲しい。
恋愛でもなく、友情でもなく、一人の人間として、
一つの魂がもう一つの魂を求めるくらいの深い感情で居て欲しい。




韓国人の男性は、思い悩んだ時、女性には悩みを打ち明けないの?
それは、男はいつでも女をリードしなくてはならないという韓国人男性のプライドがあるから?
自分の弱い部分を決して女には見せたくないの?見せられないの?
男は強くなくてはいけないから?
男は弱くてはいけないの?

私は以前、言ったよね。
人間はみんな弱い生き物だって。
男も女も関係ないんだから。
私はただ、力になってあげたいだけ。助けてあげたいだけ。
私を必要としてほしい、だけ。

弱い部分があってもいいんだよ。見せてくれてもいいんだよ。
何も言わず一人で悩んでいるのは、
貴方を愛する人がもっと苦しむことになるんだから。
タグ:韓国人 人間
posted by みよん at 13:11| ソウル 🌁| Comment(0) | ニッキ >愛について語る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月18日

地球規模の愛を!

もし、宇宙戦争が始まって
異星人が地球に大きな武力で以って攻め込んできたら
地球の人類はみな手を取り合って助け合うんだろうか
韓国人も日本人も中国もソ連もアメリカも
一致団結して武力を固め
「同じ地球人の仲間」として
助け合い励ましあい戦いに行くのだろうか




もし
地球上の誰もが敗北して
国も政治も経済もなくなって
美しかった地球の星が
荒地と化したとき
生き残った地球の人々は
みな手を取り合って助け合って
生きていくんだろうか




そんなとき
アイツは何国人だ、とか
アイツは何人種だ、とか
言っていられる場合だろうか




もし地球が滅びようとするならば
私たち地球人はそれでも
隣の国といがみ合うことが必要だろうか





最後には
人の愛が人を救うのではないのでしょうか




だとすれば
私たち地球人が今していることは
どれほど罪深いことでしょうか





他国を蹴り落として発展を得たとしても
そのような国ばかりが集まった地球は
その先は「滅亡」しかないというのに・・・
私たちは今、
「発展」のために「滅びのへ道」を歩んでいるのかもしれない
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posted by みよん at 19:21| Comment(0) | ニッキ >愛について語る! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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