2006年08月29日

child abuse

今日は韓国に関係ない記事です。幼児虐待については真面目に考えています。
シビアな内容の記事になりますが、面白半分で読まないでください。
記事、かなり長いです。


まずはこれ バッド(下向き矢印) 中日新聞の記事から。

http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20060826/mng_____sya_____005.shtml


数日前の事件になります。
記事をじっくり読んでいただくと分かりますが、
私はこの事件の記事を読んで問題点がたくさんあることに気づきました。
どうしても居た堪れない気持ちになり、ブログに書くことにしました。

その前に、まず、
中日新聞での「幼児虐待」に関した記事は、いつもこのようにとても詳細で具体的に事件の内容が書かれています。
私が思うには、これは幼児虐待の事件を追い続けている記者さんの「強い想い」が大きく反映されているんだと思います。
というのも、数年前に私は中日新聞社にメールしたことがあるのです。数年前に起こった名古屋でのとある幼児虐待事件。それはとても辛くて可哀想な事件だったのですが、あまりにも悔しくて記事を書いた記者さんにメールしたのです。

問題点は「名古屋市児童相談所」にあります。その件について記者さんに問い合わせたのです。メールの返事はすぐに頂きました。メールの内容についてはここに詳しく書けませんが、記者さんの真剣な想いと熱意が十分に伝わってきました。記事を書いている記者さんも、本当はとても悔しくて辛いんだな、と。

新聞社に限らず、多くのメディアの記者さんたちは、ただ日ごろ起きた事件を報道しているだけなのではなく、そこに彼らの何らかの熱い思いが込められているんだと知りました。彼らは真実を報道しながらも、個人的感情は表せないにしろ、遠まわしに、そして事件に直結してその「何か」を伝えたいと願っているのです。

幼児虐待に関して言うならば、少なからずその記者さんは私のメールを読んでとても励みになると答えてくださいました。つまり、彼(彼女)は、常に何かを求めて事件を追い、事件を直視して、記事に書いているんだなって。

そのように記者さんの熱意が記事の中のどこかに潜んでいるのだと、謎解きのように記事を読み進めれば、彼らが本当に言いたいことは何なのか、本当は一番何を伝えたいのか、見えてくるのです。

今回のこの記事に関して思うこと。
とにかく死ななくて良かった、この一言です。
ただ、これからがこの小さな兄弟について大変な時期となるのです。
そのアフターケアやフォローはどのように成されるのか、傷つけられた心の修復は本当に難しいと思う。命が助かっただけでも良かったんだけど、この兄弟を救わなくてはいけないのはこれから。

そしてもうひとつ。すごいな、と個人的に思ったこと。
この可哀想な姿の子供を発見した周りの大人たち。一致団結で小さな命を救ったのです。素晴らしいです。子供の親に代わって「ありがとう」と言いたいです。
そして私が最も良かったと感じたこと、それは、
一人の会社役員の人が通報した先が「110番」だったと言うことです。

さっき書きましたが、問題点は児童相談所にあります。この問題点については後述しますが、とにかく通報先が児相じゃなくて良かった。警察で良かった!と思いました。
つまり、警察に通報となれば「事件」として扱われるからです。明らかに暴力行為がされていたわけだから。



そして問題点がたくさんあると冒頭に書きましたが、
まず第一に、
幼児虐待を無くそうと思っても絶対に無理だということを認識することです。
事件はなくなるどころか、これからはもっと増えていくはずです。
事件をなくそうというより、事件を早く発見しようと働きかける姿勢、それが大切なのです。
他人のことは知らない、では済まされないのです。

事件が起こってしまってからでは遅いのです。だから、事件が起きる前に、どのようにして発見できるのか、対処できるのか、
常に構えた姿勢で子供たちを見守らなければいけない。
幼児虐待はこれからの時代、常にあり得るのだと。日常的なものなのだと。
特別な事件ではなくて、これからはもっともっと増えるだろうし、
だからこそ、事件をなくそうと考えるよりも、もっと大切なのは、
常に子供たちを注意して観察し、少しのサインも見逃さないようにし、
ちょっとした変化でもすぐに対処できるように周りの人間が常に身構えておく、このような体制が必要だと思います。

事件を解決するのではなく、
なくならない事件を無くそうと呼びかけるだけではなく、
子供たちはいつも危険なんだ、守るのは周りの大人たちなんだと、
人々の「意識改革」が最重要点なんだと思います。
肝心なのは、一般人の意識。変わらなければいけないのは一般人の私たち。

どんなに市政が良くなっても、すばらしい施設ができても、
子供たちが亡くなってしまってからでは無用の長物なのだから。


次の問題点、
幼児虐待事件でいつも問われることが、
「どうしてもっと早く発見できなかったのか」と言うことです。
今回のこの事件に関しては、心温かい人たちによって実に見事に子供たちを救って下さいましたが、それでも問題となっているのは、
この子供たちは昨年の暮れから虐待を受けていた可能性があるという事です。
今回の発見までに8ヶ月も経っています。暴力を受けて顔が腫れ上がった状態でずっと耐えていたのだと思うと居た堪れない・・・
小さなアパートに住んでいたのなら、周りの住人は虐待に気づかないはずがないんです。薄々気づいていた人もいるはずなんです。それでも、どうしても通報できない。助けられない。分かっていても行動に移せない、それが大きな問題点です。
それは、事件を起こしている張本人が「実の親」だからなのです。
そこが幼児虐待事件に関しての盲点であり、最もネックな部分なのです。

虐待だと分かっていても一歩踏み出すことが出来ない周りの人々。
他人だから、親族じゃないから、プライバシーに関わることだから、
お節介だと思われるから、他人の家庭のことに関して口出しできないから、
そのような様々な思いから躊躇してしまいます。そして、少しの躊躇の間に子供たちは殺されてしまうんです。

いつまで同じことが何度も繰り返されるんでしょうか。
そこでもやっぱり周りの人々の意識改革が必要なんです。
見て見ぬ振り、見てしまっても何もできない、したくない、関わりたくない、
そのような意識をなくすことが必要です。

子供たちを守るのは実の親だけじゃない。
全ての大人たちで全ての子供たちを守る。
そのような意識を作っていくことが大切なのです。


最後の問題点、
私が今回、最も言いたかったこと「名古屋市児童相談所」について。

中日新聞の記事から一部抜粋:

同市内では、児童相談所が虐待の通報を受けながら、虐待死を防げなかった事件が、昨年まで5年連続で5件発生。



実は私、児童相談所に関して腹に一物あるんです。

今から5年前の話になりますが、
私の家の前は公園があるのですが、夜中の2時頃、その公園から小さな赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきました。びっくりして窓から恐る恐る公園を覗いて見ました。「捨て子かな?」なんて思ったのですが、どうやらその子の親らしき大人の人がちゃんと赤ちゃんを抱っこしている姿を見つけました。
良かった・・・と、安心したのもつかの間。
その人はベンチに座りながら赤ちゃんを膝の上に座らせて、小さな頬を平手打ちでパンパンと殴り始めたのです。
私は驚きのあまり言葉も出ませんでした。
小さな赤ちゃんでした。大人の方は、背格好からして男の人に見えました。
叩かれた赤ちゃんは火がついたように激しく泣きました。
私は思わず公園に向かって走り出しました。

もたもたしているあいだに、公園に着いたときは二人はもう居ませんでした。
すると向こうの方へ歩いていく彼を見つけました。
私はとっさに彼を呼び止めました。
彼は慌てる様子もなく、驚く様子もなく、至って冷静に振り向きました。
若い男の人でした。たぶん、20才そこそこの。
あまりにも静かに冷情な目で私を見つめるので私は怖くなりました。
「貴方がさっき赤ちゃんを叩いているのを見たんです。放っておけなくて追いかけて来ました。」
彼は何も言いません。ただ黙って私を見つめています。
赤ちゃんはずっと彼の腕の中で泣いていました。
「ちょっと貸して!」私は彼から赤ちゃんを奪いました。(やってはいけないこと?)意外にも彼はすんなり赤ちゃんを渡してくれました。
とても小さくて可愛い赤ちゃんだった。他人から見れば何も憎む要素なんてない。ただ、若いパパとママには初めての子育ては地獄の日々だったのかもしれない。
多分、赤ちゃんが夜中に愚図って、若いママは子育てに疲れ、パパがママの代わりに外に連れ出したんだろう。外気に当てれば子供が泣き止むと思ったんだろう。それでも泣き止まないから思わず殴ってしまったんだろう。

赤ちゃんは泣き止みました。そしてすぐに寝ちゃったんです。
きっと私をママだと勘違いしたんだろうね。すごくかわいかった。
私は彼に何も言えなかった。でも、お節介だとしても、あのまま見過ごすわけには行かなかった。自己満足かもしれないけど、何とかしてあげたいと思って彼を追った。

私はただ一言だけ彼に言いました。
赤ちゃんは泣くことしかできない。言葉で伝えることができない。どうか殴らないで下さい。

終始無言だった彼。その時やっと彼は赤ちゃんの名前を呼びました。
「マキ(仮名)、こっちおいで」
優しい口調でした。それで私は安心して彼に赤ちゃんを返しました。


その次の日、昨日のその赤ちゃんが忘れられなくて、あのまま放っておけば再び赤ちゃんを虐待しかねないと思い、私は児相に電話したんです。若い夫婦だけに虐待する危険性が大きいと思ったからです。児相の対応は全くもって無愛想でした。そして私が事の詳細を打ち明けると面倒そうに答えるのです。初めて児相に電話したので私の方も「こんなもんかな?」ぐらいに思っていました。
「とにかくその赤ちゃんを探してください。あのままだと虐待が過激になってしまうかもしれない。」
児相の職員に赤ちゃんの名前と、その公園の所在地、自分の名前と住所と電話番号を聞かれたので答えました。
「生後3ヶ月くらいの小さな赤ちゃん、名前はマキ(仮名)、男の子です。この公園に歩いて来ていたから、公園の近くに住んでいる人だと思います。調べればすぐに分かると思います。」
そこまで条件が揃っていれば、児相ならすぐに調べられるだろう。
保健所や病院に問い合わせれば分かるだろう。
住所も名前も提供してるんだから!

ところが・・・
2週間待っても返事が来ない。私、ずっと待っていたんですよ、児相からの連絡。その間、ずっと不安で不安で・・・虐待されてないか?大丈夫か?すごく気になって・・・
待っていても連絡来ないから、こちらから再び電話してみました。
すると児相の職員の実に冷めた言葉!!
「ああ、あれね、その後すぐに調べたんですけどね、結局どこの赤ちゃんか分からなかったんですよ・・・」


それで終わり???
分からない、んで、終わり??
その後、何もしないの?
私は虐待の現場を見てるんですよ?通報してるんですよ?
危険だから何とかして欲しいとお願いしてるんですよ?
調べても分からなかったら放っておくの?



虐待を放っておくの!!???


すっごいムカつきました。


このままでは済まされない。
私は何のために2週間以上も連絡を待っていたんだろう?

「虐待は通報する義務がある」なんて市民に呼びかけ運動をしておいて、
通報しても対応する施設がこの態度で良いのか??



私は保健所に電話した。
最初からそうするべきだった。
同じように保健婦さんに虐待の状況を伝えた。
「児相では冷たい対応でした。請け負ってくれなかったです。でも放っておけないです。赤ちゃんを探して下さい。ちゃんと子育て出来ているか見てあげてください」
私がそのように伝えると、保健婦さんはとても優しく答えてくれました。
「分かりました。絶対に何とかしますから。安心して下さいね。それから、今回はこのように通報して頂いてありがとうございました。また、何か見たり聞いたりしたらいつでも電話して下さいね。」

そして、その後、
ちゃんと保健所から連絡がありました。
そして保健婦さんは私を慰めるかのように言ったんです。
「赤ちゃんを探し出しました。どうやら公園の近所の人みたいですね。とても若いご夫婦のようです。これからは保健婦が定期的にそのお宅へ伺って子育ての指導をして行きますので安心して下さいね。このたびはありがとうございました。」
保健所のおかげで赤ちゃんは専門家によって守られることになり、私はやっと安心できたんです。



話が長くなりましたが、

結局、児相は何をしてくれたのか?
そして、児童相談所と銘打つ専門施設がこのような対応で良いのか?
子供を守るべき職にある専門家が、虐待を放置していて良いのか?


結局、
保健所で探し出せたものを児相は探せなかった。
こんな体制で、どうして子供が守れるのか?



もう一度、嫌味のように抜粋 バッド(下向き矢印)

同市内では、児童相談所が虐待の通報を受けながら、虐待死を防げなかった事件が、昨年まで5年連続で5件発生。

どうなってんだよ!このままでいいのか!?
と言う、記者さんの叫びが聞こえて来そうです。

今でも私は忘れていません、あの児相の職員の無愛想な口調、態度。
そして面倒臭そうな言い草。
人手が足りないのですか?資金が足りないのですか?

だったら名古屋市がもっと力を注ぐべきです。改善する必要です。


名古屋だけじゃないと思います。
全国でもっと虐待について認識を深め、改革をするべきです。
それは市政や行政だけじゃなく、
一般市民の私たちも必要。

子供は大人のおもちゃじゃない。
子供は大人のストレスのはけ口じゃない。
逆らえなくて、抵抗できなくて、大人や社会の不条理の犠牲になっている子供達をもっと注意深く見つめなければならない。
虐待はいつでもあるんです。日常的に起こっているんです。
知らないだけ。気づかないだけ。
でも、確かに起こっているんです。
ラベル:child abuse
posted by みよん at 01:05| ソウル ☁| Comment(3) | 私の気になるニュース>社会ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
多くの虐待事件では殆どが死に至る場合が多い中、この事件は稀に見るケースだと思います。子供さんが亡くなってしまった事件は、空しい気持ちだけを残してしまう。これからの課題という部分を打ち消されてしまう。
だが、この記事のように少しの勇気で尊い命が助かった、これは、これからの虐待事件に対して新たな課題を見出してくれたと感じます。
同じように多くの人が「私も助けてあげたい」と言う気持ちが現れてきて、みんなの意識が強くなっていく。
みよんさんが訴えている「意識改革」と言う意味でも、今回のこの事件はとてもプラスとなった結果ではないでしょうか。
小さな子供たちによって大人が教えられることはたくさんある。
子供たちを犠牲にしてはいけないが、子供たちから学ぶことは多い。
Posted by YASU at 2006年08月29日 18:06
あたしは子供のころから一番殴られてきたと思う。本で瞼を切ったことも、頭にお茶碗が刺さってことも、階段から引きずりおろされたことも。今となっては冗談で「あたしも幼児虐待受けてたやんなー」ってオカンにゆったりします。笑。大学の時初めて「叩かない親」や居る事を知り、衝撃を受けたことがあります。
あたしにとっては親に殴られる、叩かれるっていう事は日常でした。ただ、あたしが今普通で居られるのも、その行為に原因があったから。今思えば、あたしが聞き分けの悪い子、親のゆうことを聞けない子やったから。子供ながら、殺したろかとも思ったけど、その行為も親の愛情があったと信じたい。そうじゃないとやり切れないよね。
日本って弱いものを守りたいって気持ち、ココロがちょっと欠けてる国なのかもしれないね。子供に対して、女性に対して、弱いから守ってあげないとって気持ちが・・・。
あたしも子供に対して、女性に対して、動物に対しての虐待って絶対に許さない。
隣の人がなにしてても分からない、孤立した社会が虐待に拍車をかけるのかも。地域環境が薄いから・・・。
Posted by うさよん at 2006年08月29日 19:27
>YASUさん
コメントありがとうございます。私も同じく思うことは、今回のこの事件はとても大切なことを世間に知らせてくれたと感じました。誰かがこのように一歩進んだ行動を試みて、その結果が子供達を寸前で救えた。それはこれから他の人たちも一歩だけでなく二歩、三歩と前に進めるようになると思うから。
子供たちから学ぶこと、それは大人の在り方かもしれないですね。子供のために大人がいるはずなのに、子供からそれを教わっている状況だし・・・

>うさよんさん
私は逆に親から全く手を上げられずに育ったので、親が子供を虐待するなんて信じられなかった記憶があります。かといって私が「良い子だった」ってわけでもないんですけどねー(笑)うさよんママのは虐待ではないですよ、明らかに。幼児虐待の事件はもっと陰湿でひどい。熱湯湯舟に沈めたり、内臓破裂するほど蹴ったり。
私も思うけど、日本人って弱いものを守る意識が薄いよね。全くないわけでもないと思うんだけど、日本人の場合はちょっと違うね。相手が大人の男でも守ろうという忠誠心があると思えば(殿様を命をかけて守るとか)、相手がか弱き女でも頼ってしまう男が居たり・・・複雑だわ・・・
Posted by みよん at 2006年09月01日 08:00
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